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トリシマの創業は1919年ですが、実は一度、倒産の危機にまで追い込まれたことがあります。 ときは第二次世界大戦終結直後、日本全体が混乱に陥っていたころのことです。そこへ1949年(昭和24年)、経営再建のために入社してきた、一人の男がいました。
元銀行マンとしての知識と経験を活かし、長期的展望と大局的視野に立った舵取りを発揮。倒産寸前だったトリシマをたちまち起死回生に導きました。当時20円かそこらだったトリシマの株価は、あれよ、あれよという間に1000円台に飛び乗ったのだとか。 その人柄は、強烈な責任感で道を貫く「信念の人」であると同時に、心から友を愛し、従業員や株主を大切にする「人情の人」。そして、つねに企業育成を通じて、人類、社会、国家に貢献することを念願としていました。 「仕事に打ち込みながら死ぬまで働くこと、これが私にとっては優雅な人生なんだ」 晩年は、口癖のようにこう語っていたという龍平氏の生涯を通じての経営哲学は、
これは、今もトリシマの社是として、何十年にもわたり、しっかりと受け継がれています。
一番大切なのは、「信用」という当たり前のことを当たり前に貫き、海外旅行がまだ夢の夢だったような時代に、世界の市場を求めて海を渡り、トリシマポンプの信頼と実績を築き上げました。この社是に限らず、深く、鋭く、ときに厳しくも優しい龍平氏の教えは、今も大切に受け継がれ、没後30年近く経った今もなお、社内には、「龍平さんファン」が多くいます。
この「処世訓」は、社内報「とりしま」の「とびらの言葉」として、創刊号(昭和42年8月)から第79号(昭和62年5月)までの20年間にわたり、原田龍平氏が社長時代に自ら著したものの一部を紹介しています。
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