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とりしまちゃんぽん

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トリシマにはさまざまな働き方、生き方の人がいます。
その様子は、色々なものが混ざり合った、まさに「ちゃんぽん」。
それぞれの個性=旨味が活きています。
仕事を続けて恩返しをしたい。
その想いが会社を動かし、トリシマも育休導入へ。
1987年 | 入社
人財開発課
※職務および原稿は、2021年3月現在のものです。

今から約25年前、女性は結婚・出産したら退職、というのが当たり前の時代でした。でも、私のなかで、子どもを産んだからといって、仕事を辞めるという選択肢はありませんでした。実は第一子を妊娠したとき、検診に行ってそのまま即入院になってしまって。本当に突然のことだったので、上司が毎日病院まで仕事の段取りを聞きに来てくれ、「井上さんに辞められたら困るよ」とも言ってくれました。なので、上司にも同僚にも迷惑を掛けてしまったし、産後も絶対に仕事を続けて恩返しをしたいと思ったんです。

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ですが、その当時トリシマにはまだ育休の制度はなく、果たして本当に復帰できるかどうか分からない状況でした。そして産休に入る頃、私の考えを知った当時の人事課長が「トリシマも育休制度をつくろう」と動いてくれました。世間的に女性の社会進出が叫ばれ、中小企業でも育休制度確立の必要性が見出されていた時期だったこともあるのでしょうが、こういう柔軟なところは、とてもトリシマらしいと思いますね。課長は約束通り制度の導入に奔走してくださり、私は晴れてトリシマ育休取得第一号となりました。なんといってもトリシマとして初めての制度ですし、製造業ということもあって、育休制度の導入は本当に大変だったと思います。人事課長には感謝してもしきれません。
仕事に復帰してからは、子どもの発熱で会社を休むこともしばしば。同僚からは「そこまでして仕事を続ける意味あるの?」と言われ、私自身本当にこれで良いのかと悩んだこともありますが、理解ある先輩方の励ましを受け、仕事を続けることができました。その後、トリシマでも1人、2人と育休を取得して仕事に復帰する女性が増え、会社全体の空気も出産後の女性の職場復帰は当たり前になりました。1人目から10年後に3人目を出産したのですが、その時にはすっかり育休取得が当然になり、本当に変わったなと実感しました。ですが、制度を利用するのは労働者の当然の権利、という捉え方ではなく、制度を導入してくれた会社への感謝は忘れずにいたいと思います。

異業種からの転職で最初は戸惑いましたが、
気がつけばここが私の“居場所”になっていました。
2010年 | 入社
IR広報グループ
※職務および原稿は、2021年3月現在のものです。

私の場合、以前は広告や情報誌などのライターをしていて、まったく異業種からの転職でした。年齢的にももう30代半ばでしたし、それまでいた世界とはあまりにも違ったので最初はカルチャーショックが大きく、やっぱり辞めようかと思ったくらいです(笑)。でも、みんなポンプの仕事にものすごく情熱とプライドをもってやっていて、熱くて、泥臭くて、カッコよくて。気がつくとポンプの仕事もこの会社もトリシマの人たちも、大好きになっていました。

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仕事は広報なので、社員の方にインタビューをしてそれを記事にしたりするのは前職の経験が活かせてやりがいがありますし、すべての部署と関わるのでいろんな刺激を受けられて楽しい。また、2019年には創業100 周年を迎えたのですが、その年は私にとっても入社10年目の節目の年。そこに広報として、100周年史の制作や創業記念式典の企画などに携われたことは、とても幸運で光栄なことでした。10年いたから伝えられることがあったんだと思います。3年目くらいであれば、あれほど想いも入らなかったかもしれません。
10年前に比べると、外国人や中途入社もずいぶん増えダイバーシティが進んできていると思います。トリシマは100年の歴史を持ちながら保守的なところがあまりなく、いい意味でなんでもあり、いいと思うことはどんどんやってみよう! というような雰囲気があります。だからこそ、みんなけっこう自由でこんな私でも普通に受け入れてくれたのだと思います。とはいえ、とくに女性は大人しい人が多いので、やかましい私は今でも浮いていますが(笑)、でも、あぁ、ここにいていいんだという安心感、ここが私の居場所なんだ、と思わせてくれる器の大きさがあります。私はポンプを造れるわけでも売りに行けるわけでもありませんが、トリシマのよさを「広く伝える」という広報の役割をしっかりと果たし、少しでも会社の発展に貢献したいと思っています。

急きょ取得した介護休業。
母の最期を看取ることができたのは、
周囲のサポートのおかげです。
2007年 | 入社
佐賀支店
※職務および原稿は、2021年3月現在のものです。

―介護休業を取得されたきっかけを教えてください。

10年以上前のことですが、母が癌を患ったんです。闘病生活が始まった頃は、私が大阪勤務だったので、できる限り毎週末佐賀に帰省してお見舞いに行っていました。病気が進行して鎮痛剤を使うようになると、副作用で意識が朦朧として自分で身の回りのことができなくなるかもしれない、と主治医から言われました。それで家族で話し合って、私が病院に寝泊まりし、入院介護をすることになったんです。

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―なるほど、入院介護となると長期の休みが必要ですね。介護休業制度は元々ご存じでしたか?

いえ、実は制度のことは知らなくて。当時の上司に事情を話したところ、教えてもらいました。

―山口さんはトリシマで初めて介護休業を取得されたそうですが、周りの反応はどうでしたか?

上司に相談してから1週間くらいで休みに入ることになったので、「業務を中途半端な状態で引き継いで、上司や同僚に迷惑がかかる」とか「3ケ月も休んで会社をクビになるんじゃないか」と不安だらけでした。でも、皆さん嫌な顔ひとつせず、「介護頑張って」「仕事はこっちに振っていいから」とフォローしてくださったので、大変助かりました。それに、人事担当者の方もすぐに必要書類を準備してくださり、休業のための手続きもスムーズでした。

―周囲の方のたくさんのフォローがあったんですね。それでも、大変だったことはありますか?

そうですね、強いて言えば、当時の私は全国各地のエンドユーザー(地方自治体)やコンサルタント会社、トリシマの代理店と業務を進めていました。なので、病院内で思うように電話対応などができなかったのが大変でした。

―介護休業を取得してみていかがしたか?

会社や上司、同僚のお陰で母の最期を看取ることができ、本当に感謝しています。母も、実の息子に看病・介護してもらって、嬉しかったんじゃないかな、と自分が親になった今は思っています。

―家族の介護は、いつ何時、誰の身にも起こりうることですよね。

本当にそうです。今、日本人の2人に1人が癌になって、3人に1人が癌で亡くなっているって言いますよね。高齢化も進んで、今まで以上に介護が身近になると思います。なので、もし、急に介護で会社を休む必要がある場合は、是非この制度を有効的に活用して、大切な方との時間を共有して欲しいです。 また、急にやってくる介護に備えて、すぐに業務の引き継ぎができるよう、普段から準備はしておくと良いと思います。

働く場所をくれたトリシマに感謝。
今も最高のメンバーと働いています。
2019年 | 入社
ポンプ製造部 組立工作課
※職務および原稿は、2021年4月現在のものです。

私は約10年前、技能実習生としてトリシマの組立工作課BFP(火力発電所向け高圧多段ポンプ)グループで働いていました。当時からトリシマではお祈り場所や、昼食にムスリム食が用意され、私たちイスラム教徒にとっても働きやすかったです。なので、実習の3年間は何の不便もなく、楽しかったです。また、その頃はリーマンショックの影響で倒産する会社もあるなか、自分に働く場所をくれたトリシマに感謝の気持ちでいっぱいでした。実習後に故郷のインドネシアにあるトリシマの子会社で働いたのも、会社を支えて恩返しをしたいと強く思ったからでした。

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そしてインドネシア子会社での勤務も6年目を迎えた頃、トリシマの実習修了生の同窓会がインドネシアで開かれ、もう一度日本のトリシマの工場で働かないか、と誘われました。その時は妻も子どももいたので、1、2ヶ月考え、日本行きを決めました。この時もやはり、トリシマに恩返しをしたいという想いがあったからです。  
今はコロナの影響で家族が日本に来られませんが、毎日電話をしているので寂しさはあまりありません。それに、まだまだ学ぶことがたくさんあるので、毎日働いていて楽しいです。実習生として来ていた頃と違い、今は現場でも図面入力や出力などパソコンを使った仕事が増えました。私はそれが苦手なのですが(笑)。  
今はまだポンプの組み立てや図面の見方を先輩に教えてもらうこともありますが、今後は他の人に負けないくらいスキルアップして、後輩に仕事を教えられるようになりたいです。トリシマは働く場所として本当に良い環境です。もちろん人も良いです。もう一度BFPグループに来られて良かった。最高のグループです。

日本で働くことを決めたのは“Greener Pastures”、
より良い環境を求めて。
2008年 | 入社
TGTプロジェクトマネジメント
※職務および原稿は、2021年5月現在のものです。

私が初めて来日したのは、故郷フィリピンにある日系の自動車メーカーで働いていた時です。会社の研修で数ヶ月の滞在だったのですが、空気がきれいで街は静か、人が優しく住みやすそうな国だと感じました。その頃から日本で働きたいと思うようになり、10年後に日本で働くチャンスがめぐってきました。でも当時子どもがまだ2歳。本当に悩みましたが、母が「自分で決めたなら行きなさい」と背中を押してくれ、そして何より、子どもには将来日本人の精神や礼儀作法を身に着けて欲しかったので、日本で働くことを決心しました。“Greener Pastures(より良い環境)”を求めてのことだったんです。

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生活環境を整えるためにまず1人で来日し、自動車メーカーで働き始めました。仕事内容も職場環境も良かったのですが、契約社員だったのでいつ仕事を失うか分からない、という状況でした。そこで、正社員として働くためトリシマへ転職することにしました。長年働いてきた自動車メーカーからポンプメーカーへの転職は不安もありましたが、学ぶ姿勢があればどんなことでもやっていけると信じてチャレンジしました。
トリシマは、仕事で必要なCADの資格を取得するための学校やセミナーに通わせてくれるなど、人材育成に力を入れている会社です。また、ファミリーサポートのような子育て制度も整っているので、子どもの参観やPTAの打ち合わせの時に助かりました。同僚も優しい人ばかりで、人事の方はビザの更新や年末調整といった庶務手続きだけでなく、日常生活で困った時にも助けてくれます。例えば、初めて家を借りる時には、日本語が苦手な私に代わって大家さんとの連絡、書類の準備をしてくれました。 
私がトリシマに就職した2008年は世界的に経済状況が厳しく、人材を解雇する会社もありました。そんななか、私を雇ってくれたことを大変ありがたいと思っていますし、トリシマで働いていなかったら、夫と息子を呼び寄せ日本で家を建てることもなかったでしょう。この先もトリシマで働きたいと思っています。

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