創業92周年記念式典

社内報「とりしま」より転載しています。
一部、内部的なコメントも含まれていることをご了承ください

「とりしま」第177号/2011年8月1日記

往々にして『偏る』我々の性癖を意識する

3月11日からもうすぐ5ヶ月が経とうとしています。被災地では仮設住宅への入居が進む一方で、
原子力発電所の事故の影響で、今なお9万人近い人たちが避難生活を余儀なくされています。
復興、まだまだこれからが本番です。

そんな中、トリシマの仙台支店の活躍は目を見張るものがあります。
平岡支店長の下で一致団結、震災以降、休む間もなく走り回っています。
本社や他の支社店からも多くの人たちが応援に駆けつけていますが、やはり、中心は仙台支店のメンバー。
6月の出水期までに排水ポンプ場の応急復旧をやり遂げ、電力不足を解消する為の火力発電所のポンプの復旧や、
被災した工場のポンプの整備を行いました。

その中でも特に被害の大きかった日製紙石巻工場やその周辺の工場では、トリシマのポンプだけでなく、
全てのメーカーのポンプ・モータ500台以上を一手に引き受け、全ての分解整備をほぼ終えました。
日本製紙八月からの自家発電の再稼動と9月末からの操業再開に向けて、今まででは考えられないような範囲と量の仕事を、
短期間で仕上げるなど、一丸となって様々な仕事をやり遂げています。
使命感に支えられているとはいえ、5ヶ月近くが経過した今、疲れもピークでしょう。みんなの健康が心配されます。
引き続き全社ベースで仙台支店のサポートをよろしくお願いします。

仙台支店の皆さんは、自分達も被災者でありながら、必ずポンプは自分達が復旧させるという使命感を持って、
全力で走っています。3月11日以降の短期間で、支店長を始め、みんなが急速に成長しました。
困難にまっすぐ向き合い、考え、行動する姿は本当に頼もい。災害を目の前にして、『難しい・・・…』ではなく、
『どうしたら出来るか』を考えて、チャレンジしているからでしょう。

仙台支店については、現状の10人体制を倍の20人体制増強することを決めました。支店も9月に広い事務所へ移転します。
これは、単に『仕事があるからという理由からだけではありません。
今の仙台支店が、『人が育つ職場』、『人伸びる職場』だからです。みんなの顔が精悍です。
この仙台支店の成長は、『人は困難に面した時、逃げないで立ち向い乗り越えようとすることで大きく成長する』ということを再認識させてくれました。

企業は『人』が全て。今後も、厳しくても人が伸びるところに『人』を配置することで、皆さんに成長して欲しいと思います。
酉島グループ92周年の今日を、今回の震災、そして原発事故から学ぶべき事を整理して百周年を目指して我々に出来る事を考える機会としていきましょう。

『一方に偏る』危険性

今年も無事に新入社員の皆さんが正式に配属されました。(起立)48人!です。
いつもしているように、企業も生き物であり新陳代謝が必要です。トリシマが成長を続ける為に
も、こうして皆さんが新しい血として参加してくれたこと、本当に嬉しいことです。

皆さんは、1980年代後半から90年代前半の生まれですから、小学校からずっとゆとり教育を受けてきた、所謂『ゆとり世代』です。
『詰め込み教育はよくない』と勉強する量を一気に減らしたのが、ゆとり教育。
国際学習到達度調査でも、この10年で、日本は中国や国を始め多くの国々に抜かれ、
結果的には子供達の学力は低下してしまいました。判断が十分でない子供には詰め込む(機会を与える)べきで、
その中で考える力を身につけさせていくものではないでしょうか。

従って、社会人としては子供である皆さんには、厳く詰め込みで育てます。
特に入社後の2~3年は、社会人としての基礎が固まる時期なので日常生活に流されず、苦労は買ってでもするというスタイルを大事にして下さい

ところで、『ゆとり教育』の真の問題とはなんだったのでしょうか。確かに学歴などの過度の競争は良くないものの、
問題は一方的に『競争は悪』と決めつけてしまった事ではないでしょうか。

例えば、『順位をつけるのは良くないから、運動会では手をつないでゴールさせるべきだ』というように、行き過ぎることが原因なのでしょう。子供は競争を通し悔しい思いをし、その中から、得手・不得手や、長所・短所といった人間の多様性に気づいていきます。
適度な競争が健全な発展を生み出してきたことを忘れ、競争を頭から否定してしまうことが問題なのではないでしょうか。
物事全てに、良い面と悪い面の両面がります。

ただ、日本人は、『ゆとり教育』のように、極端に一方に偏ってしまう性癖があます。
従って、我々は、常に偏向していないだろうかと謙虚に自問自答し、方向を見誤らないよう注意をしなければなりません。
戦後だけでも、この一方に偏るという例は枚挙にいとまがありません。

ポンプ業界も同じです。80年代から90年代にかけて業界が公共投資に依存して、このまま続く訳がないとわかっていながら、
そこに人員を集中させている間に、世界のポンプメーカーに技術で大きく離されてしまった事実。
トリシマは遅まきながら気づき、2000年代に入ってグローバル化を推進して、方向を転換してきました。
一方に偏る、一方にぶれる国民性を認識して常に謙虚に反省する姿勢が大事です。この危険性を十分に理解した上で、
今回の震災、原発事故からトリシマが学ぶべきことを一緒に見ていきます。

『原子力事故と日本のエネルギー政策』

原子力発電所の事故により、まだ避難生活を強いられている方々も多く、地元に戻れたとしても、
放射性物質への不安から、本当の元の生活を取り戻せるまで、どのぐらい時間がかかるのか見通しすら立たない状態です。
そして、東日本だけでなく、日本全国の原力発電所が次々と停止し、電力不足が深刻な社会問題にもなっています。

しかしながら、『原発』=『危険』、従って即時に廃止、或いは原子力発電を全て太陽光や風力発電など再生可能エネルギーで代替する、というような短絡的で偏った考えになってはなりません。
今後日本のエネルギーをどう賄っていくかという問題は、非常に複雑で、複眼的かつ戦略的なアプローチが必要不可欠であり、
決して単純なものではありません。そもそも資源がない国、海外にエネルギーを依存し続けないと生きていけない国という立場からの脱却の切り札が、少ない資源で巨大エネルギーを産む原子力だったのです。

かし、今回の事故で安全のコストが莫大なものであることを改めて思い知らされたと同に、
使用済み燃料は数十年という長期にわたり冷却し続けなければならないという廃棄処理にかかる莫大なコストも再認識しました。
一方で、世界人口が急増する中、大量の天然ガスや石油・石炭を日本が安定的に輸入できるかというエネルギー安全保障上の懸念もあります。

更に、今は歴史的な円高で相殺されていますが、資源価格は高騰を続けており為替が現在の1 ドル76円から100円、120円と
2~3年前の円安になれば、資源輸入コストがあっという間に増大。2007年に日本が議長国をつとめた洞爺湖サミットで宣言した2005年までに地球温暖化ガスの排出量を半減するという宣言も全く吹っ飛んでしまいます。
日本の発電量の約3割を占める原子力を化石燃料や再生可能エネルギーに置き換えるとすると、莫大な電気料金値上げに加えて、不安定な電源に依存することになり、日本の企業生産拠点を海外へシフトする産業の空洞化が一層進みかねません。

そもそも技術はトライアンドエラーで伸びるものであり、トリシマのポンプも、失敗なくしてイノベーションなど考えられません。
リバティ船が代表的な事例です。第二次世大戦中にリベット打ちから画期的なブロック工法と溶接に移行し、
建造期間が飛躍的に短縮されました。今では当たり前のこの技術が確立されるまでには、
200隻以上もの船が沈没しているのです。徹底的な事故検証の結果、低温脆性という知見が不足していたことが発覚、
技術の進歩にもつながりました。
コメット機、タコマ橋等々、技術の進歩には、必ずと言っていいほど多くの失敗がベースにあるのです。

これに対して、原子力技術は、今のように失敗の代償がとてつもなく大きく、トライアンドエラーが出来ない。
そもそも失敗が許されない、ここが非常に難しい。
しかし、不幸にも今回大きな事故が起こってしまいました。まだ事故が収束すらしてないのに、不謹慎かもしれませんが、
冷静に起こった事故から学び、失敗を活かして技術を進歩させるべきでしょう。

『止める』と言うのは簡単だけど、『どうする』という答えがない限り、最善の策を考え続ける他に道はありません。
今日(8月1日)の日経新聞の世論調査では、原子力発電所を定検後再稼動すべきが53%と、
すべきでないの38%を上回っています。
一方、原子力発電を減らすべきは50%と冷静な意見も多く、今のところ心配するほど日本は偏った方向には進んではいないようです。

問題は、3月11日まで原子力さえあれば全てが解決するという『原子力ルネッサンス』の考えに偏っていたことではないでしょうか。謙虚さもなく安全神話を築き問題を隠匿、原子力さえあれば地球も温暖化しないと再生可能エネルギーの導入も積極的に進めなかった等々。今更ながら一方的な偏りやその世論誘導に気づかされます。
もしかしたら、地震と津波はそういう行き過ぎた驕りと、一方向へ傾いている日本の危険を知らせる為の神様警鐘だったのかもしれません。

『健全な競争の重要性』

国土が世界で62番目の日本は、小さな国です。世界一の国土を誇るロシアは、日本の45倍もの大きさで、
続くカナダ、中国、アメリカはそれぞれは僅差ですが、それでも各々日本の25倍以上あります。

こんなに狭い日本の中で、10もの電力会社が共存しています。
一応自由化されているものの、そのシェアは数%。実質的な10社地域独占状態。電気は貯められず、発電と利用を同時に行う必要がある中、安定供給を第一に、戦後日本の経済発展を支えてきたのが電力会社でした。
しかし、低成長時代に入り、環境が変化しても、そのんままの制度が継続されたために、
競争がない、競争をあえてしない、という今の状態になってしまいました。

今、富士山近辺で分断される周波数が問題となっています。現状これを変換できる設備は、わずか100万kW程度しかありません。
設備を増やすと、今回のような場合に東西間で電位を融通することが出来るようになりますが、
同時に電力会社間に競争が発生することにつながります。自然エネルギーの普及が進まない理由は、電力会社が
『低質な電気は系統に多くつなげない、安定供給に支障がでる』と編入比率を実質コントロールしてきたこともあげられます。

発電と送電を握る電力会社から技術的に難しいと言われれば、対抗できるものはいません。
ただ、日本中の系統がもっと大容量でつながっていれば、もっと大量に自然エネルギーを利用することが出来ることは
欧州やアメリカの事例からも明らかです。
原子力や再生可能エネルギーの普及など、国家として取り扱うべき事項を、地域独占の各電力会社がコントロールしているということが、偏りなのです。いま発送電分離が議論される所以です。

発送電分離とは、電力会社の分割を意味することですから、電力会社が自ら積極的に進めるはずはありません。
福島の事故で電力会社が開けたくなかったパンドラの箱が開いてしまったのです。
震災や津波は競争がない偏った電力システムの戒めでもあったのかもしれません。

あらゆる災いが飛び出た後、箱に残ったのは希望、それがパンドラの箱の結末。
健全な競争の導入による効率的な電力システムへの移行という希望の実現が望まれます。

『トリシマ100周年への道』

使っている電力そのものを減らす努力が、我々に課せられた責任でもあります。節約する気になれば出来るという証拠に、
節電によって、使用電力量は昨年に比べ、10%以上も減少しました。
震災・津波は、エネルギー資源が有限であることを忘れ、便利さや快適さから、使いたい放題していた我々の贅沢さへの神様の警告でもあるのです。

まず電力使用量を減らす努力、つまり、省エネを世の中に普及させることがトリシマが果たすべき最大の使命なのです。
ポンプは、地球上で最も電気を使用する機械です。そして、モータにも省ネの余地が十分あります。
トリシマがTUモータとして普及に力を入れている標準モータ省エネ機種(IEクラス3)。日本はこのモータの普及率が世界で一番遅れている国の一つです。
変われない、ガラパゴスといわれる、日本の一つの典型的な事例でしょう。

トリシも、今日92周年を迎え、謙虚に反省し、変えるべきところは変える、という気持ちを新たにしなければなりません。
何十年と続けてきたから正しいという訳ではなく、ややもすると非常に偏ったやり方や考え方をしているというケースが、
まだまだ多く残っています。既成概念にとらわれず、正確に状況を把握して、変えていく行動力が求められているのです。
苦しくてもやり遂げる、変化へチャレンジして成長する、という『想い』。仙台支店が成長しているのは、みんながこの『想い』を共有して、どうしたら出来るかを考え続けているからに他なりません。

そして、この震災と原子力事故を日本が乗り越えて再び輝く国になるためにも、トリシマはポンプと関連機器の徹底した省エネ化で地球を救う企業になるという『志』を持ち続けます
いま日本企業を取り巻く環境は、新興国の追い上げ、財政赤字、人口減少・少子高齢化強烈な円高、そして震災・電力不足と、
五重苦、六重苦の状況にあります。1979年、今日本と同じようにどん底で苦しんでいたイギリスは、
サッチャー首相というスーパーウマンの出現により、苦境から脱出しました。

日本では、このようなスーパーマンはなかか出現しませんが、我々一人一人、そして企業一社一社が、
『想い』と『志』を持って行動すれば、必ずどん底から脱却できます。明治維新も第二次世界大戦後の日本の復興も、
一人のヒーローの出現ではなく、一人一人、一社一社の努力の積み重ねによって成されたです。

92周年に際し、変化を通して成長する『想い』と技術にこだわり世の中に省エネを提供し続ける『志』を胸に、
100周年に向け進んでいく決意を、皆でしようではないですか。

(平成23 年8月1日 社内報「とりしま」No.177 2011夏号)

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