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酉島製作所 採用特設サイト トリシマポンプ
愛情を持って送り出したボイラ循環ポンプ、575台
石橋 健一
高校 電気科卒業 1995年入社
生産本部 ポンプ製造部 組立工作課 課長

*職務および原稿は、2020年2月現在のものです。

ラオスでの体験が、ポンプのプロとしての原点に

自分の仕事が世の中の役に立っていることをダイレクトに感じられる場面は、そうそうない。ましてや水も電気も当たり前にある現代日本において、実はその裏でポンプが休みなく動いていることなんて誰が意識するだろうか。でも、今から20年前のラオス、ある農村では―。

「そこでは、洗濯をしたり食器を洗ったり、畑に水をやったり、そのポンプ場がまさに生活の要として重要な役割を果たしていました。だから、経年劣化で動かなくなったポンプを修理しに行ったときは、ものすごく喜んでくれて。JICAの仕事だったこともあってか、当時まだ二十歳そこそこの私に最高級のもてなしをしてくれるんです。実は出張どころか、海外も初めての経験で不安もいっぱいでしたが、この人たちのために、一日も早くポンプを直さないと、と思いました」。

ポンプ場再開のセレモニーには国の要人も出席し、その様子は新聞に掲載された。今では課長となり約80名の部下を束ねる石橋だが、この二ヵ月間の出張のことは時々ふいに思い出す。

「ポンプに仕事をさせるのは、人間の手、僕らの役目」。お客様のもとに届いたときに、ちゃんと動くように、ときには他部門や上司とさえ衝突しながらも、徹底的に品質やスピードにこだわる原点がここにある。

世界でも数社しか作れないグランドレスボイラ循環ポンプ、BCP

工業高校電気科卒の石橋が入社直後から配属されたのが、電気の専門知識を必要とするグランドレスボイラ循環ポンプグループ*。頭文字を取ってBCP( Boiler Circulating Pump)と呼ばれ、トリシマの中でももっとも製造が難しい製品の一つだ。超臨界や超々臨界圧発電所など400℃超の高温高圧下で運転されるため、モータをポンプ部と共に耐圧容器内に収容し、軸封部(グランド)を不要としている。このモータのコイルを巻く「巻線」と呼ばれる作業が極めて特殊な技術を要し、長年に渡って蓄積してきたノウハウが凝縮されている。世界でも数社しか製造できず、トリシマはその一社としてインドだけでも300台以上、世界各国に数多く納入してきた。

「といっても、私が入社した頃は一年にせいぜい数台。メールも携帯もない時代ですから、のんびりしていましたね。そもそも一年目は、ポンプには触らせてもらえず、部品の手入れとか用具の整理整頓とか下積みばかり。丁寧に教えてもらえるでもなく、技術は『見て盗むもの』と思っていました」。

父親ほど年の離れた現場班長は、「めちゃめちゃ怖かった」と今では懐かしそうに笑うが、「一番影響を受けた人」でもあり、ポンプの基礎からプロとしての心構えまで、すべてを学んだ。厳しさの中にも深い愛情があり、今ではすっかり柔和になった彼を慕う人は現在も多い。

*当時は高圧グループの中にボイラ循環ポンプとボイラ給水ポンプがあり、BCPが正式にグループとして独立したのは2010年度以降。

「自分たちにしかできない仕事」というプライドと責任

BCPの受注が一気に増えだしたのが2000年代半ば、会社が本格的に海外展開を始めてからだ。年間の受注台数は30台を超え、50台を超え、2010年には90台を超えた。リードタイムは約一年。それだけ時間と労力のかかる製品を、一番多いときは「ひと月18台」出荷させた。この頃には石橋も入社10年を超え、仕事の要領もグループの能力もよく分かっている。「普通に作っていると間に合わない」ので、いかに効率よく作るかを考え抜いた。

BCPグループの仕事は、巻線と組立。巻線は機械を使うので時間単位で管理できる。組立では、誰がどこで何をするか、無駄な動きがないように、「ボルトの締め方一つまで計算して 」 納期を死守した。効率が悪いと上にも意見した。「今思うとまだ考えが若かったし、生意気だったかもしれません」とすまなさそうに振り返るが、「やると言ったらやる男なので、安心して任せていた。何より彼の提案は的確でしたね」と当時の上司はその実力と一本気な性格を買っている。

巻線は機械を使うといっても、肝心な部分は人間の手だ。絶縁層に覆われたコイルは水中につかるため、わずかな捻じれや傷が致命傷となり、モータが起動しないどころか大事故にもつながりかねない。細心の注意を払いながら、傷がないか「手の平の皮膚感覚で検知する」。

「BCPは特殊なポンプなので、社内でもできる人は多くありません。うちがやらずにどこがやる、というプライドと責任が自分を動かしていたと思います」。

管理職であるグループリーダーになってからは、さらにハードさが増した。上司が天津工場へ、もう一人頼りにしていた先輩がインドへ異動になったのだ。ひと月10台以上作るペースは続いている。10名程度の部下は新人が多く、なんとか戦力に育てなければならない。電気を扱うので危険も伴う。コイルの巻き方は口で説明するものでもない。まさに、やってみせ、言って聞かせ、させてみて、褒めてやって鍛え上げた。

自分たちのスキル不足は努力と工夫で克服できるが、他部門が納期通りにモノを送ってこないときなどは、「挑戦状を持って(笑)」交渉に行った。空き時間ができると効率が下がり、完成が遅れる。部下は各自の仕事だけに集中できるよう、全部自分が動いた。石橋流のコントロールで生産性は上がり、一台当たりの製作期間も短縮。一番大変な時期を上司曰く「弱音一つ吐かずやりきった」功績が認められ、2017年4月にはグループリーダーから課長へと昇進した。

「大変だったんでしょうね。でも不思議と大変と思ったことは一度もなく、楽しかったですね」。

さまざまな部門をリレーのように流れて完成するポンプ製造の中で、別名「仕上げ」と呼ばれる組立部門。「愛情を込めてポンプを組み立て、お客様のもとへ送り出している」という石橋が、入社以来、現場を離れるまでに送り出したBCPは合計575台に上った。

「機械は正直者」。先輩の言葉を今は後輩へ

「めちゃめちゃ怖かった」班長から言われた言葉で、今でも肝に銘じているのが「機械は正直者」。 「失敗すると、つい隠したくなるじゃないですか。たとえば加工のときに削り過ぎたりとか。でも、ベテランが見ればすぐに分かるし、運よく見過されても、性能試験をすれば必ずバレます。『人間は嘘つくけど、機械は嘘つかないからな』ってよく言われました」。

若い頃、失敗したことではなく、報告しなかったことに対して、厳しく叱られたという。「何を隠したのかもう忘れちゃいましたけどね(笑)。私も同じことを部下に伝えていっています。私はトリシマに入るまで何もなかった。本当に会社に育てられました。その恩を、トリシマの心技を伝え、残していくことで返していきたい」。

口数の多いタイプではないが、ぽつり、ぽつりと紡ぎだす石橋の言葉は密度が高く、ポンプや会社への愛情が感じられる。約80名の部下は「一人ひとりの性格や強み弱み、全部分かりますよ」というのも納得で、なかでも管理職になりたての頃、試行錯誤しながら一から育てた部下は「めっちゃ優秀」と胸をはる。その自慢の部下は、石橋のことを「俺についてこいタイプ」と一言で表現。「迷いがなく、つねに自信を持って指示してくれ、いざというときには守ってくれるので安心してついていけます。怖いときはめちゃめちゃ怖いですけどね」と笑う曇りのない笑顔からは、石橋への信頼と尊敬が読み取れる。石橋が上から引き継いだ現場のDNAは、確実に次世代へと伝承されていっている。

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